スロージョギングと写真のブログ-2

季節の花や風景写真、介護の日々などを綴っていきます

ショートスティー、第48回 千葉県写真展

前回のブログから

だいぶご無沙汰をしてしまった

 

この間は、高齢者にとっては耐え難い暑さ続き、

そして地震や豪雨災害、戦争のニュースばかり

 

また、人間や自然にとってよい影響を与えるのか、よくない影響を与えるのか

よくわかりませんが、AIの影響が洪水のように押し寄せています

 

老々介護の身にあっては、それらに我関せずではないのですが

日々目の前に起きることを、一つ一つ処理することで精いっぱい

 

8月は、春ごろから自覚症状のあった疾患の手術入院

幸い数日で済みましたが、落ちつくまでは9月いっぱいかかる

 

入院の前後は、妻をショートスティーに預けておいた

 

今も9月のショートスティーにいるのですが、

昨日の昼前は、この間を利用して区内の介護者の集いに参加した

また、夕方は、最寄りの公園外周を周回、

8:30〜13:12〜12:53〜12:42〜12:49〜9:23/69分

ゆっくり走ったり、泳いだり、ウォーキングをしたりすると、自分が自分に戻った感じがする

 

今日は、妻から電話があってショート泊の施設に衣類を届け、

昼過ぎは、昨日から始まった県立美術館の写真展を見に行った

 

 

もっと、1週間前後のショートスティーを利用して

撮影ざんまい、旅行を兼ねて撮影旅行とかしたいものですね

 

被介護者の状態にもよりますが、毎週2回のデイサービス通所に加え、例月3泊4日のショートスティー実施、

こんな感じですと、ほとんどが生活まわりのことや行政の手続きなどに費やされ、

余白というか、介護者のリフレッシュ時間がとれない(介護疲れ、共倒れの発生)

 

介護者の休息も兼ね自由に行動できる、遊びやゆとりの時間があると、明日へのエネルギーが生まれる

 

そのためには、隔月または年4回春夏秋冬などに、「5泊6日~1週間前後」のショートスティーを入れたいものです

 

参考1:千葉県写真展 ―文化でつなぐ千葉のちから―

 

参考2:以前、入賞・入選作品を「NIKON IMAGE SPACE」のアルバムにまとめていましたが、2026年10月15日をもって、市場環境の変化により、NIKON IMAGE SPACEのサービスは終了いたします」と通告がありました

なので、改めて、同作品を無料のシニア向け日記サイト「ZUISO(随想)」に、春夏秋冬3部作としてまとめました


① 春夏秋冬-1


② 春夏秋冬-2


③ 春夏秋冬-3

 

写真展で一区切り

ウクライナーロシア、イスラエル・米-イランなど、戦争が長引いたり、

 

地震や山林火災が起きたり、気候の変化や環境破壊でクマが跋扈したり、

 

はたまたAIの暮らしへの影響、さながら方丈記が描く世にいるような…

 

 

14日~20日まで

 

最寄りの〇〇ショップ街角ギャラリーで

 

3人合同の写真展を実施した

 

 

縁あって写友に誘われ、寸暇をぬっての参加であった

 

 

在宅で老々介護の身にあっては

 

思っても一人でできることではなかった

 

 

合同した2人、ギャラリー管理者の支援で

 

無事に終了した

 

蓮華亭と大賀ハスのハス池

 

終了翌日、

 

『〇〇ショップ「街角ギャラリー」に展示されている作品のうち

 

△△をいただけませんか

 

費用等は用意しています』

 

のメモをいただいた

 

 

そんなことは思ってもいなかったのでビックリ!

 

 

ともあれ、70歳を機に写真をはじめ

 

途中で、先が見えない妻の長距離介護(PD)が発生

 

写真をはじめて10年、介護がはじまって8年余り経つ

 

今回の展示会参加は、写真の趣味に一区切り、そんな思いもあった

 

 

アップの写真は、展示期間中の19日に

 

ママチャリこぎこぎ撮影に出かけた

 

千葉公園のボタンです

 

 

花は散りかけて見ごろ過ぎ、

 

めぼしい花を選んでパチリ!

 

池には5月の鯉のぼりが谷渡りしていた

 

 

『老後の一日千金に当たるべし

 

老後一日も楽しまずして

 

空しく過ごすは惜しむべし

 

是非の初心忘るべからず

 

時々の初心忘るべからず

 

老後の初心忘るべからず

 

命には限りあり

 

能には果てあるべからず

(世阿弥)』

カタクリ、さくら広場、展示会、ショートスティー、最近読んだ本、3.11、戦争、平和

明日は市立病院まで、妻の通院付き添い

PDに係る受診、1月に二回は訪問診療医に頼っていますが

3か月に一回の診療科は専門でないので、通院付き添いせざるを得ない

 

付き添い帰りに、幕張豊砂駅を降り、さくら広場に

寄れたら寄ろうと思う

 

最近は、ブログを書くゆとりがない

2月ごろからのことを振り返ってみた

 

まずは、昨日の地域サークル撮影会参加の記事から

3月下旬の日記

〇 泉自然公園のカタクリ

妻をデイサービスに送り出し、泉自然公園に向かった

公園は、カタクリ、さくら、ヤマユリ、紅葉など撮影のため

何回か行ったことがあるが、妻の介護が発生してからは遠のいていた

久々の公園行きだった

バスは、平和公園回りだったので、

現地到着は家を出て1時間30分ほどだった

 

以前撮影時よりカタクリが小粒な感じがした

桜も撮影したかったが

昼過ぎに帰りのバスに乗った

帰宅は13時15分ごろだった

レンズは、望遠、マクロ、標準レンズを持参したが

使用したのは、望遠とマクロ

望遠レンズの使用が多かったが、仕上がった写真を見ると

マクロが良かったので、マクロを使いこなせばよかった

と反省!

 

3月下旬の日記

〇 さくら広場の下見、コストコの買い物

車いすを想定

自宅から最寄り駅まで、ほゞ15分

最寄り駅から幕張豊砂まで15分

そこから広場まで15分

計約45分

下見のこの日は、1,2本の木が開花していた

見ごろは週末か?

入園は、10時で無料

 

ふだんはママチャリで直行、

広場から、コストコまで徒歩7分

 

コストコで30分ほど店内ぶらぶら

玄米5kgと味噌大パック、アーモンドチョコを買う

 

帰りは、モール前を通過

エドヒガンが満開だった

花見川のエドヒガンが見ごろか、頭に浮かんだ

明後日は、泉自然公園のカタクリ撮影会!

 

介護で不参加つづきの撮影会、デイサービスの日と重なるので参加しようと思う

 

3月11日の日記

〇 展示会ショートスティー・最近読んだ本から3.11、戦争、平和

 ○ 展示会

最寄りのギャラリーで、写友と展示会を行うことになった

老々介護がつづく状態に80の齢を超え、自由に活動することが難しくなった

 

が、なんとか参加の予定

今回が最初にして最後かもしれない

 

展示作品は、いままでに撮った写真から10枚程度の予定

 

搬入搬出は、天気が良ければ、ママチャリの荷台を拡げて作品を搭載と思ったが、

額など損傷の恐れがあれば、タクシーで行こうと思う

(車は、70歳ごろに手放し免許を返納した)

 

寒暖差のある日が続いているが、暖かい日は妻を車いすに乗せ、リハビリ外出

先日は、妻を車いすに乗せ、ギャラリーまでの所要時間を計ってみた

約1.5kmで30分弱だった

 

ギャラリーのあるショッピングセンターで昼食の食材を買って

復路は水路沿いを歩いた

 

 

廃校横の歩道沿いにあるカンヒザクラが満開だった

 

そこを通り過ぎ右折すると、いつものK公園

 

 

日向ぼっこをし、芝生で妻の歩行リハビリをして帰宅した

 

○ ショートスティー、最近読んだ本

 

先月、今月とショートスティーを利用した

 

施設から部屋で転倒し、頭を打ったとの連絡があった

看護師の診断手当で、たいしたことがなく、無事に終えた

 

ショートスティーの間は、見守り介助の拘束・気遣いから解放される

 

家事はいつもどおりですが、まとまった自由で解放された時間に必要事項が処理でき、昼寝の休息やウォーキングなどができる

 

ウォーキングは、久々に最寄りの公園外周を5周回

午後2時20分から1時間半ぐらいだったが

・7:44~11:45~11:35~11:25~11:15~10:54~7:37

5周回は56:54だった

 

先日は、「老々介護18年」を読んだ

日内変動に振り回される日々もあれば、おやっ!?と思う穏やかな日もあり

一喜一憂で繰り返し先が見えないような介護の日々

読み終えて、在宅での長期にわたる老々介護「発症~介護~看取りまでの流れ」を知った

 

 

80歳を過ぎ、自身の高齢による心身の衰えを自覚しても、なるようにしかならない

病院、施設、在宅、… …

著者のように、超長距離を完走できるか定かでない

 

その後、部屋の本棚にあった、35年も前に購入した下の本、

句集なんだけれど、たしか夫が妻を介護していた内容を思い出し

引っ張り出して再読した

 

 

脳梗塞で倒れた半身不随の妻を

20年近く介護の夫

老夫婦の日常を妻の俳句と写真まじりで表した本「花浄土 句集「白道」」

 

1990年の敬老の日にNHKテレビで放映され、視聴者から大きな反響があった

とのこと

そんな昔は、私は働き盛りで介護の当事者でもなかったし、介護に関心もなかったころなので、購入のきっかけや動機は不明、

しかし今なら身近に感じて読むことができる

 

○ 3.11、戦争、平和

災害も戦争も嫌ですね!

 

今日は、東日本大震災から15年、当ブログで振り返ってみた

・3/11 東日本大震災

・3/12 震災2日目 

・3/13 震災3日目

・3/14 震災4日目の状況

・3/15 震災5日めは、缶詰状態 

・3/17 震災7日め 

・3/19 金魚ばち 

・3/26 地震後の噴出土の撤去 

              …

・4/22 原発震災(1) 

    …

・6/26 千葉市内の放射能の現状と影響について 

    …

※ 原発依存から脱し将来も安心して暮らせる国へ

※ 老朽化した原発の再稼働

 

政治家には、平和へのかじ取りを誤らないでほしい

最悪、戦争に巻き込まれるような外交、対外対応はしてほしくない

 

私は、終戦(敗戦)の年に生まれた

その年から、曲がりなりにも日本は平和が80年続いている

 

当ブログの2018年の記事、

先の大戦を経験された方の記事を振り返ってみた

 

2018年の後は、コロナ禍、ウクライナ・ロシア、イスラエル・ガザなどに戦禍が発生、続いて米・イスラエルのイラン攻撃と日々、悲惨な報道が流れている

 

国内では昨年後半に新政権に変わり、以前の状況から武器輸出や非核三原則の変更、憲法9条の改変、スパイ防止法の制定のニュースが流れた

数日前には、九州熊本市に、ミサイル配置のニュースが流れた

きな臭い様相を呈している

争いが中東からアジアに拡がらないように願いたい

 

ふだんは老々介護に翻弄され、周辺の変化をかまうゆとりがないですが、平和でなければ介護もできない

 

世界も日本も、平和で穏やかでありますように!

 

・以下は、2018/1/7記事から抜粋、再掲です

 

今朝の朝刊からの抜粋転載です。

私たちが感じていて、誰も表立って言わないことが多いなか、さらりとエッセイにしている。

 

上記のエッセイに共感しつつ、今の日本の状況と重ね合わせ、かつて心に響いた抜き書きを以下に再掲しました。(故人2人)

池波正太郎

 還暦に思う人生(昭和58年)

・これは、太平洋戦争に若い自分が直面し、その前途が五分五分に生死に賭けられていたからだろう。

だが、戦場で戦うこともなく、海軍の航空基地から復員したときは、生還の僥倖を喜ぶよりも、日本の敗戦により、一夜のうちに変わった時代と、戦死した少年航空兵の顔が重なり合い、一年ほど虚脱してしまっていた。
‥ ‥
おのれの健康をほこる気持ちは、いささかもない。生と死は、いつも、隣り合わせになっているのだから……。

60年生きて来て、いまさら感じることは、我欲のない人ほど幸福になっていることだ。

むろんのことに、これは金銭とは別のもので、いかに我欲を貼って財産を得たところで人間は満たされない。その実例を、数え切れぬほどに、私は、この目で見てきた。

恐ろしいのは、我欲と傲慢の結果が、すぐにあらわれずに、一国家、一団体、一個人それぞれに、我欲の芽がふくらみ、長く潜伏していて、これが表にあらわれ、はっと気づいたときには、手遅れになっていることだ。

私の我欲が薄いといっても、ないわけではない。

その残存する我欲を一つ一つ取り除くことを、こころがけて行きたい。
‥  ‥
私は、政治や経済のうごきについては、ジャーナリズムを信用しない。できない。

これは、終戦のときの、一夜にして白が黒となり、黒が白となった衝撃が尾を引いているからだ

私が信用するのは、自分の目でとらえた「一個人が表現しているもの」のみである。

 すべて簡素に、簡明に(昭和59年)

・こう書いてくると、まだまだやりたいことはいくらでもあるわけだが、私は欲張らない。

仕事と生活の上において余分なものは一つ一つ切りとって行き、もっとも簡素な生き方をしたい。

戦後の私は、あまり人付き合いのよい男ではなくなってしまったけれども、これからはなおさら義理を欠き、付き合いの時間を減らしていくつもりだ。

それも60歳を超えた私には許されることだと思っている。

これからは、人も世も、国家も、すべて簡素に……簡明にである。

 

茨木のり子

1975年(49歳)、四半世紀を共に暮らした夫が先立ち、以降、31年間にわたる一人暮らしが始まる。

2年後、彼女は代表作のひとつとなる『自分の感受性くらい』を世に出した。それは、かつて戦争で生活から芸術・娯楽が消えていった時に、胸中で思っていた事をうたいあげたものだった。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

その後、 弟が先に他界し、かつての同人仲間が1人、2人と世を去るのを見送った。だが、彼女は孤独感をものともせず、1999年に73歳で『倚(よ)りかからず』を発表するなど、詩への創作意欲は衰えなかった。

●倚(よ)りかからず ※73歳の作品

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

2006年、自宅で脳動脈瘤破裂によって急逝した彼女を、訪ねてきた親戚が発見する。きっちりと生きることを心がけた彼女らしく遺書が用意されていた。「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。“あの人も逝ったか”と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます」。この力強さ。享年79歳。

戦争への怒りを女性としてうたい上げた「私が一番きれいだったとき」は多くの教科書に掲載され、米国では反ベトナム戦争運動の中でフォーク歌手ピート・シーガーが『When I Was Most Beautiful』として曲をつけた。彼女の心の声が国境を越えて人の心を打ったのだ。人生を明るく、そして清々しくうたう茨木の詩は、没後も多くの人を魅了し、晩年の『倚りかからず』は詩集としては異例となる15万部のベストセラーになっている。エッセイ本も多数。 韓国語を学んで出した『韓国現代詩選』(1990)では読売文学賞を受賞している。

●わたしが一番きれいだったとき (茨木さんは15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

冒頭の朝刊エッセイに関連して、

この5年間で、特定秘密保護法(25/12/13)・安保法(28/3/29)・共謀罪法(29/6/21)などの重要法案が成立し、今年度は憲法改正!!

メディアを通じてのプロパガンダというか、世論操作に惑わされないようにしたい。

 

432円の文庫本「日本国憲法」(講談社学術文庫)から主要な箇所を抽出してみた。

他の条文も大切なのですが、とりあえず。

冒頭のエッセイの一文をお借りすれば、

今年こそは国民一人ひとりが「正気」を保って、平穏な世の中がず~っと続くようにしていきたいですね!! 』

 

老々介護、スイセン、梅の花

 いろいろと追われ、約40日ぶりのブログになった

今日は、最近を含めて介護の備忘録です

 カーテンを開けると雪降り、いったん上がりましたが、午後からまたもくもくと降りだした

千葉は、今年初めての雪です

 さて、妻のパーキンソン病と介護のこと

 非常にゆっくりと進行する難病を患っている妻、長期にわたる介護、…

症状を改善させる薬はあるが、病気の進行を遅くしたり止めたりする効果はないという

 進行の速度は個人差が大きく、未来の予測をすることは専門医でも困難

それでも数年診察していると、ある程度はその患者の悪化進行の速度が分かるようになるという

 妻の介護が始まったのは、2018年からだから、8年が過ぎた

その時その時を良かれと思う対応をしてきたのですが、

 振り返ってみた

『 当初は病名が特定できないまま数年経過し、… …

最初のクリニックは、こうすれば治ると言っていたが、一向に変わらない、… …

前傾、歩行困難、その他が顕著になり、

・病状を伝えた写友が、良い専門医のいる他院を紹介してくれたので受診した

2021年4月前後に、脳の画像検査など詳しく検査をしたがDaT Scanなど健常者並み

・その後は、大波小波がくりかえし、気分障害、便もれ・尿もれ、室内転倒・救急搬送、発語障害などが現れ、介護者も限界、2022年3月に再度同じ検査を行った

DaT Scan画像のナントやらが著減していて、このときはじめてパーキンソン病と確定診断された。担当医は、こんなに速い進行は、…と驚いていた

病名がわかり治療方針が定まった

・2023年~24年とL-Dopa治療法を続けたが、大波が中波ほどになって推移、便もれ・尿もれ、室内転倒、発語障害などが現れた

特に便もれには介護者もお手上げになった

ショートスティーなど2回ほど初利用した

しかし、どうしようもなくなって、2023年暮れに婦人科から紹介された医療センターに転院、いろいろ検査をしたあと、5月に10日ほどの外科の手術入院をした

便もれは改善された

直腸脱だった

〇 ともに高齢の老々介護

 複数疾患をかかえ、遠いところを含めた複数の病院に付き添うことが困難になってきた

2025年春過ぎ、ケアマネに相談した

5月に、こういうクリニックはどうでしょうか?と提案され、

6月末に紹介された訪問診療医(在宅医療)の説明を受け

今まで通った病院から診療情報提供書をもらい、訪問診療に切り替えた

 訪問看護ステーションも、連携している事業所に切り替えた

訪問看護師と訪問リハビリは、新たにこの事業所から来宅した

 ほどなく、8月末に私が手術入院

この時は、妻が9泊10日のショートスティーを利用して凌いだ

〇 私の退院まもなく、2025年9月初め

 市の窓口に指定難病医療費助成の申請をした

審査を終え、12月初旬に受給者証と管理手帳が届いた

夏ごろに、訪問診療医(指定医療機関)に「臨床調査個人票」を作ってもらい、数種類の申請書類を作成

重症度分類に関する事項は、ホンヤールⅣ、生活機能障障害Ⅱだった

臨床調査個人票には、「2020/11ごろから動作緩慢、歩行障害などパーキンソン病症状が顕在化し、他院で精査してパーキンソン病の診断となった。ADLの低下により通院が困難になり、2025年6月から当院の訪問診療が開始となった」とあった

〇 2026年1月下旬、指定難病の自己負担上限額は1万円だったが、超えた分を遡って還付手続きした

窓口担当者の助言があって、併せて難病の「高額かつ長期」の自己負担額軽減申請をした

上限額1万円は、2月から5千円となった

物価高の昨今、年金生活には助かる制度である 

〇 かねてケアマネに相談していたレスパイト目的のショートスティー、

2月から定期的に利用することになった

昨年のショート泊は、介護者の手術入院ということもあり、あまり休息にはならなかった

ショート泊期間中は、医療費控除の明細表作成(確定申告用)や、終活の一部、隙間時間にスイセン梅の花の撮影など、気遣いなくできた 

効率的に、集中して行えるし、休息リフレッシュにもなる

有効な時間となった

介護介助が毎日の日常だと、自分の自由な時間がほとんどない

今日は、介護疲れの軽減策をインターネットで検索した

偶然、次の本が見つかった

・『老老介護18年 パーキンソン病の妻を18年間介護した記録 ー貧乏くじを引いた―そう思った日々が、かけがえのない時間へと変わっていった。(宮本亮慈、2025/12/22、幻冬舎)』

(2/12追記:11日に購入し、まだ読み始め途中ですが「介護日誌」など類似の状況が書かれていた。訪問在宅医療に切り替え、奥さんを自宅で看取られたとのこと。書きえないことだってあるでしょうに、かなり具体的で、介護環境は様々と思いますが、同様の介護をされている人たちにとっては、かなり参考になります)

時に、室内転倒頻回、ベッドから起き上がれない、言葉を発せられない

転倒で窓サッシのガラスを突き破り頭部を負傷、救急搬送

排せつ障害などで手術入院など、など

幾多の試練を経てきた

介護ストレスを感じることがたびたびあった

ゆっくりと進行する病気なので、これからまだ、先がある

昨年6月末から訪問診療(在宅医療)に切り替えた

訪問医は、脳神経内科の専門医であることを生かして、一般内科の診療だけでなく、パーキンソン病などの神経難病や認知症、脳梗塞後遺症などの診療を行っているという

パーキンソン病治療の3本柱、薬、リハビリ(運動療法)、環境整備に留意しながら、

エイドステーション(ショートスティー期間など)で休息・リフレッシュし、介護ストレスをためないよう、長距離の介護マラソンを完走したいもの

写真は、介護の合間を縫って撮影の、葛西臨海公園スイセン青葉の森公園梅の花です

おまけは千葉市動物園の動物たち

年度末に動物がテーマの地域のフォトコンがあり、撮りためた動物写真がないので、

急遽千葉市動物公園に行った

時節柄か?タイミングか?腕前か?、上手に撮れませんでした

久々の速歩、バースデイラン、第32回千葉読売写真展

妻の状態が安定してきたので、デイの通所にあわせ

 

最寄りの公園を交互に、速歩きしたりテクテク走りをした

 

 

昨日から、気持ちに少しのゆとりができたのか

 

休息とリセットの時間が得られそうだ

 

 

ストレッチをしたあと、一周1kmの公園を4周回

 

 

公園までの往復、約1km

 

合計5kmのテクテク走りをした

 

 

80歳の誕生日を機に、気分転換をはかろうと、

昨日からスロージョギングを復活、

無理なく続けさせようと決心

 

 

無心になれて、体力や生活の質が維持できる

 

脚力と心肺機能が改善できる

 

 

今日のタイムは、

 

8:01~10:48~10:40~10:27~10:07~8:20

 

久々に運動らしい運動だった

 

見守り介助、家事万般では運動代わりにはなりませんから

 

 

70歳のころから、行けるところまでと、

 

制限時間のゆるいマラソン大会に参加した

 

 

途中で予期しない介護が発生、中断した

 

運動から遠ざかっていた

 

 

できる範囲で、介護の合間をぬいながら

 

上手にボチボチ、ジョグ&ウォークです

 

 

写真は

 

来月の写真展案内

 

12/6、12/13の読売新聞、千葉版から引用した写真展案内

 

それと展示の写真です

 

※ 【参考】

クスリの誤飲、指定難病申請、パソコントラブル

昨夜遅く、地震が起きたよ、と起こされた

朝になってTVを見ると、建物被害など次々と報じられていた

冬場ゆえなのか、各地で相次ぐ山林火災も

地震、雷、火事、戦争?

雷が目立たないだけで、他の事象は強度と頻度がやけに強く多い

昨日は、我が家の騒動が落ち着いて

久々に買い物リハビリ外出をした

妻を車いすに乗せて、最寄りのスーパーに食材の買い出し

帰りは途中の公園で芝生上の歩行リハビリ、鉄棒で軽くスクワット、肩甲骨の体操

写真は、スーパーで買ったおやつを食べながらの休憩

介護に埋め尽くされながらの日々も、工夫でなんとか平穏を保ちたいもの

先月の下旬にクスリの誤飲があった

2年ほど前から時々飲み忘れが発生していたが、

7月に訪問診療に切り替り、寝る前の薬が追加された

一日4回の服薬である

 

お薬カレンダーを利用しているが、服薬の見守り介助が常態となった

 

当日は、夜寝る前のクスリと同時に、翌朝、翌昼分、3回分を一緒に飲んだ!!

夕食後シャワーを浴びるまで一緒にいたが、

 

あとは、彼女が、寝る準備や休憩をするだろうと思い、

私は、隣の部屋に移って、小一時間ほど自分の作業をしていた

 

お勝手に戻ると、食卓の上に、クスリの空袋が三つ置いてあった

ビックリ!!

 

介助者は、寝る前のクスリ1錠を彼女の前に置き、

翌日の4回分(朝、昼、夕、寝前)は、ケースに入れて輪ゴムで止めておいた

 

食卓上ではあったが、当日寝前分とは離れたところに置いておいた

ナゼ飲んでしまったのか確認しても始まらない!!

 

ぼ~っととしていて注意力、判断力がどこかに飛んでいたのだろう

7月に通院困難から訪問診療に切り替え、

4か月ほどさしたる症状変化もなく、ほぼ安定状態を維持していた

 

当日夜の7時30分前後、予期しないアクシデントだった

即、訪問診療のクリニックの主治医に電話をした

 

「会話や身体の動作に変わりがないか? 動けないとか、起き上がれないなど異変があったら緊急対応ですが、無かったら一晩寝て様子を見て下さい」

当座は異変が感じられるほどでもなかったが、

「翌日は、通常どうり処方に従ったクスリを飲んでいいのですか?」、と確認

 

「朝、昼、夕、寝前、普通に飲んで様子を見て下さい」

翌朝になった

ベッドから起き上がれない

吐いたあとがある

会話もままならない

訪問看護ステーションに電話をした

その日は祭日で当直者が出た

担当看護師に連絡した

折り返し電話があった

 

「大丈夫ですか?」

「抱えあげて手を引き、食卓につかせ、朝食はナントか自分で食べました

ただ、歩行動作は見守り介助が必要な状態ですね~」

 

「朝食はとらなくてもよいですが、水分は十分とって、様子をみて下さい」

 

翌日のデイサービスは、休みの連絡をした

 

翌日の夕食時、イスからの姿勢移動時、バランスを崩し、後ろに転倒した

 

3日目の朝、左手甲の変色に気づいた

少し腫れているのだろうか?

右後頭部に赤味が見られた

食器棚の角にひっくり返ったけれど、めぼしい家具の角にクッションカバーをつけてあった

4,5日経って、週2回行っている後半のデイには通所した

 

担当の訪看さんから連絡があったようで、

「左手の甲が変色はれてるようです。後頭部右下に赤味があって、入浴はシャワー浴にしました。様子を見て下さい」と、帰りの送迎スタッフから話があった

 

なんだかんだで、一週間余りかかって落ち着いた

前回ブログからは、

指定難病申請の結果が届いて、そのあとの手続き対応や

パソコンの不具合、システムエラーによる自動修復トラブルが発生し、

店頭サポートに持ち込んだり、あれやこれやでバタバタと過ごしていた

 

やっと、ゆとりができての車いす外出

スーパーへの食材買い出し&リハビリであった

 

誤飲事故発生前後に残っていた紅葉・黄葉は、あっという間に過ぎ去った

紅葉、養生訓、他

ここ数日、こま切れ時間を見つけて

近隣ばかりでしたが、

ママチャリで紅葉、黄葉めぐり

また、先日、図書館に本を返しに行って

書架をぶらっとながめていたら

「熟年介護日誌(病人が病人を看るということ)」という本が

ぐうぜんに目に入った

借りてきた

だいぶ昔ですね~、2007/6/25、NHK出版の発行

たちまち読んでしまった

内容は、

 肺がんと闘い、認知症の母、
直腸がんの妻を介護する日々の記録

肺がんと診断されたとき筆者は、妻と母との三人暮らし。三人三様の病いを抱える熟年介護の真っ只中で、高齢社会の残酷さが露になっていく。本書は、病者が病者を介護する日々の詳細な報告であると同時に、介護戦士に贈る、「負けないための応援歌」でもある。

ページをめくると、当方と類似の状況があちこちに記されていた

筆者の 介護戦士に贈る、負けないための応援歌 なる言葉が胸にしみた

状況に押しつぶされないで、乗り切っていった経過が記録されていた

 

どんな状況でも受け容れ、穏やかに、自分なりの愉しみをもって過ごしていくには、どういう心づもりで対応していくか、現実との折合いをつけていくか?

時に養生訓にならって、かじ取りしていたようなので、

いまさらながら、養生訓を調べてみた

結局、こころ一つ、こころの置きどころで状況は変わる

よいほう、よいほうに考え、行動する

 

むかし会社の上司に聴いたいた言葉、

「こころを変えよ こころが変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば運命が変わる」

が思い出された

 

以下、 養生訓 | 健康長寿ネット より一部抜粋引用

『 養生の道、食生活、性生活、住まい、睡眠、排泄、薬の服用、高齢者の生活について、貝原益軒の教えをいくつか抜粋してみていきましょう。

養生の道

  • 怒りや心配事を減らして心を穏やかに保つ
  • 元気であることが生きる活力になるのでいつも元気でいる
  • 食事は食べ過ぎず、毎日、自分に合った適度な運動をするのがよい
  • 生活の中で自分の決まり事をつくり、よくないことは避ける
  • 病気になってから治療するのではなく、病気にならない努力をする
  • 何事もほどほどにし、調和のとれた生活を送る
  • お金がある、ないに関係なく、自分なりの楽しみを持って生活する
  • 養生のための生活を習慣化することが大切
  • 呼吸はゆっくり行い、たまに大きく息を吸い込む
  • 夜更かしはしない、だらだらと寝すぎない
  • 身のまわりを清潔に保つ

食生活

  • 食事は温かいうちに食べる
  • 胃腸が悪い時は水を多めにして炊くなど、体調に合わせてご飯を炊く
  • 食事は薄味にし、濃い味のものや脂っこいものは食べ過ぎない
  • 冷たいもの、生もの、堅いものは避ける
  • いろいろな味のものをバランスよく食べる
  • 食べ物への感謝の気持ちを忘れずに食事する
  • 夕食は朝食よりも少なめにする
  • 食欲を抑える、食欲に勝てる精神力を持つことが大切
  • 前にとった食事が消化してから次の食事をとる
  • 大きな魚や鳥や魚の皮など消化しにくいものは避ける
  • 食後はじっと座るのではなく、自分に合った軽い運動を行う
  • 酒は少しにして呑みすぎない
  • 塩分の少ない食事をとる
  • 煙草は毒であり、習慣化すればやめにくくなる

性生活

  • 食欲と性欲は人間の欲の中でも強い欲だが、若いときから自制しなければならない

住まい

  • 適度な明るさの部屋で過ごし、薄暗い陰気な部屋に長時間いないようにする

睡眠

  • 夜寝るときは横向きで寝るのがよい。仰向けになると気分が悪くなってうなされる。胸の上に手を置くと悪夢をみる

排泄

  • 大便、小便は我慢せずに早く済ませる

薬の服用

  • 長生きの薬はない。生まれ持った寿命を全うする
  • 毒にあたって薬を飲むときは冷水がよい。熱湯は毒の力を活発にする

高齢者の過ごし方

  • 心を鎮めて日々を楽しみ、怒ることと欲を制する
  • 無理をしないようにする
  • ⇒ 養生訓に書かれていることは、バランスのとれた食事と適度の運動、良質な睡眠、そしてストレスは避けて心を穏やかに保ち、楽しみをもって元気に過ごすという、現代の生活習慣病の予防や治療で大切とされることが全て網羅されていると感じます…

⇒ ・養生訓(貝原益軒) 珠玉の名言・格言21選 | 心を輝かせる名言集

  ・養生訓から学ぶ、時を輝いて生きる